どうも、空衣です。FtMでパンセクシュアルです。
前回に引き続き、FtM自分史についてです。
私の中学生時代を中心にお話ししていきます。
■前回のお話はコチラ
チェック → 【FtM自分史】男友達と親しかった幼少期と、恋愛の戸惑い -幼稚園〜小学生編-
まさかのスカート強制
中学校入学は、端的にいって最悪でした。
毎日スカートを履かなければならないからです。小学校までは私服だったので、運動しやすい服を好んで着ていました。しかしスカートでは走ることもできないし、イスに座るたびに手足に気をつかうのでとても不便です。寒がりなのに素足を出さなければならないのも理不尽に思いました。精神的に束縛されているようで、制服を着るだけで憂鬱でした。
しかし制服は毎日着るものなので、いつまでも嫌がっていられません。嫌だと感じるよりは、何も感じないよう精神をコントロールするように努めました。自分の中で喜怒哀楽をもつことが苦手になるように、自ら仕向けていったのです。
男子生徒との差が広がる
制服で男女に二分されるだけでなく、二次性徴が起こるのもこの時期です。
同い年の男子たちはぐんぐん背が伸び、カン高い声だった人も低音ボイスへ声変わりし、女子が引くほど食欲旺盛になりました。同じように鍛えていても、運動神経に差が出てきます。これではもう、完全に男女は別モノで、自分は女側なのだと納得するしかありません。
音楽の授業が苦手
小学生時代から苦手意識がありましたが、制服と変声によってハッキリ男女がわかれた中学生時代は、ますます音楽の授業が苦手になりました。
私は女子の中では声が低いほうなのでアルトパートでした。それでも声が出しにくいし、そもそも自分の声はあまり好きではなく、別人の声のような感覚をもっていました。
部活の格好が苦痛
男女別の服装は、スカートだけではありません。部活動の格好も同様でした。
春の部活動オリエンテーションで、男子の先輩がバック転や宙返りを決めている姿に憧れて、私は体操部に入部しました。
しかし日頃の練習ではピチピチのスパッツを着用しなければならず、大会出場時にはさらに露出度の高いレオタードを着ることになりました。先輩に「大会出たいでしょ?(だから頑張りなよ)」と励まされるときも、私はあのレオタードが嫌で嫌でできることなら大会を回避したかったです。
器械体操は、男女で一部種目も異なります。あの成長期のころに男子種目で練習できていたら、好ましい筋肉がついていただろうに残念、と思うことがあります。
さて、FtM自分史の中学生編はここまでです。
性別を考えないようにしていた高校時代
高校時代は、とりたてて記述することがありません。
というのも、性別について考えることを放棄していたからです。
雑念は置いておいて、目先の受験勉強に必死になることでごまかしていました。
あるとき、いつものように受験勉強をしようと図書館に入ると、入り口付近に性別の特集が組まれていました。
『カラフルなぼくら』というトランスジェンダー含むLGBTQ当事者のインタビューが記載された本や、『IS〜男でも女でもない性〜』という、今でいう性分化疾患をテーマにした漫画が置いてあったのです。
一瞬惹かれましたが、それよりも受験勉強に集中すべきだと思いなおし、それらの本を手にとることなく高校は卒業しました。
もしあのとき性別に関する本を手に取っていたら、そのことで頭がいっぱいになって、希望の大学には合格できていなかったかもしれません。だからあの一瞬は、「性別移行か?大学受験か?」という2択であり、私は後者を優先したことになるのかもしれません。
以上、FtM自分史でした。
チェック → FtM(トランスジェンダー男性)の「リアル」を伝える、16記事まとめ
◎この記事を書いた人・・・空衣
1996年、神奈川県生まれ。性別も住処も旅してきました。
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