性別適合手術は、性同一性障害や性別違和を抱える方にとって重要な治療選択肢の一つです。日本では2018年から健康保険適用が開始されましたが、当時の実際の適用率は約1割程度に留まっており、多くの患者が自費診療や海外での手術を選択している現状があります。
本記事では、MTF・FTMそれぞれの手術内容、費用、保険適用の条件、治療の流れについて詳しく解説します。また、法的な戸籍変更の要件や海外手術という選択肢についても触れ、性別適合手術を検討している方が知っておくべき情報を提供いたします。
性別適合手術とは何か
性別適合手術とは、性同一性障害や性別違和の診断を受けた方が、自身の性自認に一致するように身体的な性的特徴を変えるために行う外科的手術を指します。日本精神神経学会や日本性同一性障害学会では、従来使われていた「性転換手術」という呼び方を改め、2002年から「性別適合手術」という正式名称で統一しています。
手術は主に内外性器に関する処置を中心とし、性腺や性器の切除、形態変更を目的とします。英語では「Gender-affirming surgery (GAS)」または「Sex Reassignment Surgery (SRS)」と呼ばれ、国際的にも重要な医療行為として認識されています。
日本国内では厚生労働省の認定を受けた特定の医療機関でのみ実施可能で、厳格なガイドラインに基づいて治療が進められています。手術には高度な専門技術と多職種連携が必要で、患者の安全性確保と治療効果の最大化を図る医療体制が構築されています。
MTF(男性から女性)の性別適合手術
MTF(Male to Female)の性別適合手術は、男性から女性への身体的移行を目的とした外科的治療です。日本国内の認定医療機関では多職種チームによる包括的な治療体制が構築され、患者の安全性と満足度向上を重視した医療が提供されています。
MTFの手術内容と種類
MTFの主要な手術内容には精巣摘出術、陰茎切除術、造膣術、外陰部形成術が含まれます。患者の希望や身体状況に応じて手術範囲を選択でき、精巣摘出のみから陰茎切除、造膣術まで含む包括的な手術まで段階的な選択が可能です。
造膣術では陰茎陰嚢皮弁法が一般的に採用され、陰茎の大きさが膣の深さに影響を与える重要な要素となります。手術費用は精巣・陰茎摘出で約130~150万円、造膣術を含む場合は200~250万円程度となり、入院期間は約2週間が標準的です。
術後は定期的な膣拡張が必要で、長期的なアフターケアが重要となります。多くの医療機関では患者の状況に応じて手術計画を個別に策定し、安全性と満足度の向上を図っています。手術の成功には術前の十分な準備と術後の継続的なケアが不可欠で、患者と医療チームの密接な連携が求められます。
MTF関連手術の追加オプション
狭義の性別適合手術に加えて、MTFの方が選択できる関連手術には乳房形成術、顔面女性化手術、声の女性化手術があります。乳房形成術は女性らしい体型獲得のために実施され、顔面女性化手術では前額形成、下顎形成、頬骨形成、鼻形成、のど仏切除などを組み合わせて女性的な印象に変える処置を行います。
音声の女性化については声帯手術や発声訓練により対応し、社会生活での女性としての表現をサポートします。医療機関によっては総合的な治療プランを提供し、患者の要望に応じて段階的に手術を実施する体制を整えています。
手術の順序や範囲は個人の価値観や必要性に基づいて決定され、医師との十分な相談の上で治療方針を決定する方式が一般的となっています。関連手術は性別適合手術とは別に実施されることが多く、患者の社会復帰支援の重要な要素として位置づけられています。
FTM(女性から男性)の性別適合手術
FTM(Female to Male)の性別適合手術は技術的難易度が高く、複数の段階に分けて実施される特徴があります。日本国内では対応可能な専門医が限られており、待機期間の長期化が課題となっている現状があります。
FTMの手術段階と内容
FTMの性別適合手術は複数の段階に分かれて実施されます。第一段階では卵巣摘出術、子宮摘出術、尿道延長術、膣閉鎖術が行われ、戸籍変更に必要な生殖機能の除去を目的とします。第二段階では陰茎形成術が実施され、男性器の形成を行います。
乳腺摘出・乳房切除術は男性的な胸部形成のために重要ですが、戸籍変更には直接関係しない手術として分類されます。手術費用は内容により100~200万円程度の幅があり、入院期間は手術内容によって7日から数週間まで変動します。
陰茎形成術では皮弁を用いた再建手術が行われ、整容面と機能面の両方を考慮した手術技術が用いられています。全ての段階を実施する必要はなく、患者の希望に応じて選択できる治療体系となっています。手術計画は患者の年齢、健康状態、社会的状況を総合的に評価して決定されます。
FTM手術の技術的課題と対応
FTMの性別適合手術では技術的な難易度が高く、特に陰茎形成術においては高度な外科技術が必要となります。日本国内では対応可能な専門医が限られているため、手術までの待機期間が長期化する傾向があります。
現在多くの認定医療機関で1年以上の待機期間が発生しており、一部の患者は海外での手術を選択するケースも見られます。手術後の合併症リスクも考慮すべき要素で、尿道狭窄や感染症などの可能性について事前の十分な説明と理解が必要です。
多くの医療機関では段階的手術を推奨し、第一段階の手術後に一定期間を置いてから第二段階へ進む治療計画を立てています。患者の年齢、健康状態、社会的状況を総合的に評価し、最適な治療タイミングと方法を決定する慎重なアプローチが採用されています。術後の機能回復には長期間を要し、継続的なリハビリテーションが重要となります。
日本の保険適用制度と現状
2018年4月から性別適合手術への健康保険適用が開始されましたが、適用条件や実際の運用には多くの課題が存在しています。制度の実効性向上が医療現場で強く求められており、関係者による継続的な改善努力が続けられています。
保険適用の条件と認定施設
保険適用が認められるのは岡山大学病院、札幌医科大学病院、山梨大学病院、名古屋大学病院、富山大学附属病院など、性同一性障害学会が認定した医療機関のみとなっています。認定施設では性別適合手術または乳房切除術を20例以上実施した実績を持つ専門医の配置が義務付けられ、日本精神神経学会のガイドラインを遵守した治療体制が求められます。
施設基準には専門的なチーム医療体制の構築、手術適応判定委員会の設置、学会レジストリへの登録などが含まれます。精神科医、泌尿器科医、産婦人科医、形成外科医、法律家などで構成される多職種チームによる包括的な治療が必要とされ、単独診療科での判断では保険適用を受けることができない厳格な運用となっています。認定施設の地理的偏在も課題で、アクセスの改善が求められています。
混合診療問題と実際の適用状況
保険適用制度の最大の課題は混合診療問題です。性同一性障害のホルモン療法は健康保険の対象外であり、性別適合手術とホルモン療法を一連の治療で実施する場合は混合診療となり、全体が自由診療扱いとなります。
実質的にほぼ全ての患者が術前にホルモン療法を受けているため、保険適用を受けられるケースは極めて限定的となっています。2018年の保険適用開始から1年間で、認定病院で実施された約40件の手術のうち、実際に保険適用されたのは4件のみでした。
適用例は高齢でホルモン療法の必要がない例外的なケースに限られ、制度の実効性に大きな課題が残されています。厚生労働省もこの現状を把握し、ホルモン療法の保険適用に向けた検討を進めていますが、根本的な解決には時間を要する見込みです。医療現場では制度改善への要望が強く、学会などを通じた政策提言が継続されています。
費用と経済的負担
性別適合手術の費用は手術内容により大きく異なり、自由診療での治療が一般的となっています。MTFの場合、精巣・陰茎摘出で130~150万円、造膣術を含む包括的手術で200~250万円程度が相場となっています。
FTMでは乳房切除術で約70万円、内性器摘出術や陰茎形成術を含む場合は100~200万円の範囲で費用が設定されています。手術費用以外にも術前検査費、入院費、術後のホルモン療法継続費用、定期検診費用などが発生し、総額では更に高額となります。
戸籍変更手続きには診断書代、裁判所申立費用、各種書類変更費用として数万円程度が必要です。保険適用の場合は3割負担となり、高額療養費制度の対象となりますが、混合診療問題により実質的な恩恵を受けられる患者は限定的です。
多くの患者が経済的負担軽減のため、医療ローンの利用や海外での手術を検討している現状があります。経済的理由で治療を断念する患者も存在し、社会保障制度の充実が課題となっています。
治療の流れとガイドライン
性別適合手術に至るまでの治療は、日本精神神経学会策定の「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」に基づいて段階的に進められます。最初の段階では精神科領域での診療と診断が行われ、性同一性障害の確定診断を受けるまでに数ヶ月から数年の期間を要する場合があります。
診断確定後、患者の希望と医学的判断に基づいてホルモン療法、外科的治療の順序が決定されます。ホルモン療法では2週間から1ヶ月に1回の頻度でホルモン剤を投与し、身体的変化と精神的安定を図ります。ホルモン療法は手術後も生涯にわたって継続する必要があり、定期的な血液検査による健康管理が重要となります。
手術適応の判定には複数の専門医による慎重な検討が必要で、精神科医2名の一致した診断書が手術実施の前提条件となります。患者の年齢、精神的安定性、社会的サポート体制、経済状況などを総合的に評価し、手術の適応性を判断する体制が確立されています。治療期間中は継続的なカウンセリングとサポートが提供されます。
海外での手術という選択肢
日本国内の限られた医療体制と費用負担を背景に、多くの患者が海外での性別適合手術を選択しています。特にタイ王国は世界的に性別適合手術の先進国として知られ、技術水準の高さと相対的な費用面でのメリットから日本人患者の渡航先として人気があります。タイでは待機期間も短く、経験豊富な専門医による治療を受けることができます。
海外手術のメリットには費用面でのメリット、待機期間の短縮、技術レベルの高さがありますが、言語の壁、術後ケアの継続性、緊急時対応の課題も存在します。渡航前には十分な情報収集と現地医療機関との綿密な連絡が必要で、通訳や医療コーディネーターのサポートを受けることが推奨されます。
帰国後の継続治療については、海外手術に理解のある国内医療機関を事前に確保しておくことが重要です。多くの患者が経済的な理由も含めて海外手術を選択しており、医療ツーリズムとしての側面も持っています。近年は医療の国際化が進み、海外手術の安全性向上も図られています。
法的側面と戸籍変更
性別適合手術は戸籍上の性別変更と密接に関連しており、法制度の変遷が治療選択に大きな影響を与えています。2003年に制定された「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」では、戸籍変更の要件として生殖機能の除去が規定されていました。
しかし、2023年10月25日の最高裁判所大法廷決定において、裁判官15名全員一致で生殖能力をなくす手術要件は憲法13条に違反し無効であるとの判断が示され、法制度の大きな転換点となりました。
現在の戸籍変更要件には、20歳以上であること、現在婚姻していないこと、現在子どもがいないこと、性同一性障害の診断を受けていること、外観が他の性別に近似していることが含まれます。最高裁判決を受けて今後の法改正が検討されており、手術要件の撤廃により性別適合手術を希望しない当事者も戸籍変更が可能になると予想されます。
戸籍変更の手続きは家庭裁判所への申立てにより行われ、必要書類の準備から審判確定まで数ヶ月の期間を要します。戸籍変更後は各種身分証明書や契約書類の性別変更手続きが必要となり、社会生活の様々な場面で影響を及ぼします。
まとめ
日本の性別適合手術は技術的には高い水準にある一方で、保険適用の制約や医療機関の限定により、多くの患者が経済的・地理的な課題に直面しています。2023年の最高裁判決により法的環境は変化しつつありますが、混合診療問題の解決やホルモン療法の保険適用など、制度改善の余地は大きく残されています。
手術を検討する際は、認定医療機関での十分な相談、経済的準備、術後の長期的なケア体制の確保が重要です。海外手術も選択肢の一つですが、リスクと利益を慎重に検討する必要があります。今後の法改正や制度改善により、より多くの方が適切な医療を受けられる環境整備が期待されます。