はじめに
日本全国の約10%、推定1260万人がLGBTQ+当事者とされる現在、彼らが直面する住宅課題は依然として深刻な社会問題となっている。神奈川県の人口(905万人)を上回る当事者が存在するにもかかわらず、多くの人が「身近にLGBTQ+の人はいない」と感じているのが現実だ。
本記事では、LGBTsフレンドリーな不動産会社「株式会社IRIS」代表の須藤啓光と、その法的パートナーで弁護士の佐藤氏による講演内容をもとに、当事者が直面する住宅課題の実態と、豊島区で同性カップル初の里親として歩む彼らの体験を通じて見える地域共生の可能性について探る。
貧困と暴力の中で育まれた「お互い様」の精神
須藤の人生は、決して平坦なものではなかった。1989年、宮城県で生まれた彼は、電気・ガス・水道が止まるような極貧家庭で育った。父親は離婚を繰り返し、現在の母親は5人目。借金を重ねる両親のもと、喉が渇けば公園の水を飲み、夜はろうそくの明かりで過ごす日々が続いた。
特に辛かったのは長期休暇だった。給食がないため食べるものに困り、友人たちが昼食のために家に帰る中、一人公園に残される。そんな彼を救ったのは地域の人々の温かさだった。
「あれ、アキちゃんどうしたの?」
近所の人や友人の家族が声をかけ、食事を提供してくれた。源氏パイやちょっとしたお菓子をくれる人もいた。家に帰れば父親から暴力を受け、小学4年生の時には「お前とは同じ空気を吸いたくない」と言われ、ハリーポッターのように階段下の廊下で座布団一枚で過ごした日もあった。
しかし、外に出れば友人がいて、地域の人たちがいた。この経験が、後に彼の活動の根底となる「お互い様の精神」を育んだのである。
上京から起業へ ~セクシュアリティとの向き合い~
高校卒業後、「このまま地元にいたら同じような貧乏な生活になる」と感じた須藤は、わずか1万円を手に上京を決意した。その頃から、自分が同性に惹かれることを自覚するようになった。
「たまたま好きになった人が男性だった」
当時のメディアでは、ゲイ=オネエという風潮が強く、笑いの対象として扱われることが多かった。自分がゲイだと知られれば「いじめられる」「一人になってしまう」「将来孤独に死んでいく」という恐怖に支配された。結婚もできず、共に人生を歩む人も見つからず、お墓もなく一人寂しく死んでいくのではないかという不安に苛まれた。
それでも自分の人生を諦めたくなかった彼は、様々なことにチャレンジを続けた。その中で最初の大きな壁となったのが住宅問題だった。
住宅課題の実態 ~同性カップルが直面する三つの課題~
パートナーとの部屋探しで、須藤は現実の厳しさを痛感した。不動産会社5社を回った結果、ようやく「礼金1ヶ月分上乗せしてもいいなら住んでもいい」という条件を提示された。
同性カップルが住宅取得時に直面する課題は、大きく3つの側面に分けられる:
1. 制度面の課題 二人入居可能物件の定義は、基本的に「男女間の夫婦」や「親族・家族」を対象としている。同性カップルは「ルームシェア」として扱われることが多く、二人入居可能物件とルームシェア可能物件の数には約7倍の差がある。選択肢の制限は深刻だ。
2. 実務面の課題 物件探しから契約、入居まで各段階で説明や追加手続きが必要となることが多い。
3. 心理的な課題 カミングアウトの必要性や、審査時の不安など、精神的な負担が大きい。
法的リスクの深刻さ ~相続問題という落とし穴~
パートナーで弁護士の佐藤氏によると、同性カップルの住宅購入には深刻な法的リスクが潜んでいる。最も大きな問題は相続だ。
一方の名義で住宅を購入した場合、その人が亡くなると所有権は法的相続人(両親や兄弟姉妹など)に移る。遺言書を作成しても、遺留分制度により、血縁者から「遺留分侵害額請求」を受ける可能性がある。
「法律上の夫婦であれば配偶者が第一順位の相続人になりますが、同性カップルの場合、『家が欲しければお金を払え』と言われる可能性があります」(佐藤氏)
この問題は、遺言書だけでは完全に解決できない。同性婚が法的に認められていない現状では、根本的な解決は困難と言わざるを得ない。
パートナーシップ制度の拡がりと活用
こうした課題に対し、行政も手をこまねいているわけではない。2025年4月1日時点で、全国の自治体の約92%がパートナーシップ制度を導入している。459の自治体と31都道府県が制度を整備し、全国で7351組が利用している(2024年5月時点)。
東京都のパートナーシップ制度では、都政サービス(都営住宅入居、医療現場での情報共有など)と民間サービス(生命保険の受取人指定、携帯電話の家族割など)の両方が利用可能だ。
住宅に関しては、パートナーシップ証明書を提出することで、フラット35や三井住友銀行などでペアローンが利用できるようになった。公正証書作成のコストと時間を節約できる点で、実用的なメリットがある。
カミングアウトの現実 ~見えない当事者たち~
カミングアウトに関する江東区の2020年調査によると、カミングアウトを経験したことのある当事者は全体の3割に過ぎない。職場では7.5%、学校では1.1%という低い数字が示されている。
人口の約10%が当事者でありながら、そのうち職場でカミングアウトできるのは7.5%のみ。従業員1000人規模の会社でも「当事者が社内にいない」と思われてしまう環境が作られがちだ。
須藤自身、20代前半は自分がゲイであることを隠していた。会社では「お前彼女は?」「結婚しないのか?」と散々言われ、非常に苦しい思いをした。当時、当事者にカミングアウトされた経験は0人だった。
アウティング(本人の了解なしに第三者への暴露)も深刻な問題だ。須藤は金融業界勤務時代、上司にアウティングされた経験を持つ。これを機に会社を辞め、元々任意団体だったアイリスを法人化させた。
佐藤氏のカミングアウト体験
弁護士の佐藤氏は、比較的恵まれたカミングアウト体験を持つ。大学時代の女性の友人に初めて打ち明けた時は「あ、そうなんだ」程度の軽い反応で、現在も3人で飲みに行く関係が続いている。
小学校時代の友人グループへのカミングアウトも、須藤が心配したほど重いものではなかった。家族に対しては明確に「私はゲイです」とは言わなかったものの、2人で住む家に母親、兄、妹、祖母が遊びに来た際、須藤が出迎えることで実質的なカミングアウトとなった。
「どこかで感づいていたんだと思います。普通に『ご趣味は?』『お仕事は?』という会話になりました」(佐藤氏)
豊島区初の同性カップル里親として
2人は現在、東京都のパートナーシップ制度を利用し、豊島区で住宅を購入して生活している。そして豊島区では第1号となる同性カップルの里親として、里子を迎えて共に生活している。
里親認定・登録までの道のりは決して平坦ではなかった。2023年初頭から活動を始め、8つのステップを経て約1年をかけて登録を完了した。この過程で最も困難だったのは、児童相談所長面接と豊島区児童福祉審議会での審議だった。
児相所長からは「同性カップルの方は里親認定登録はできるけれども、実際の里子委託は難しいと思います」と告げられた。事実ベースの情報提供だったとはいえ、相当な工数と時間をかけて進めてきた須藤は深く傷ついた。
「結局、里子が来ることはないのかな」
社会に制度が構築されても、現場への浸透には時間がかかる現実を痛感した。自分がパートナーと家族を持ちたい、子育てをしたいと思ったことが「欲張りすぎた」のではないかとさえ考えた。
地域との対話と理解の構築
里親となってからは、常に地域とのコミュニケーションが必要となった。近所の人から「スドウさん、お子さんいらっしゃったの?」と聞かれれば、子どもの前では「うちの子です」と答えながら、後で「実は里子を迎え入れまして」と説明に回る。町内会での挨拶、学校との連絡、かかりつけ病院での説明など、様々な場面で状況を説明する必要がある。
里子は保険証を持たず、「受診券」で医療を受ける。この仕組みに慣れていない医療機関では戸惑いが生じることもある。こうした日常的な課題一つ一つに対応していくことが、地域社会での理解促進につながっている。
「自分たちがどんな人間で、今どういう状況に置かれていて、何が必要なのかを明確に伝える必要があります。そのためには、カミングアウトしやすい環境が不可欠です」(須藤)
アイリスとしまの会の取り組み
須藤が代表を務める「アイリスとしまの会」は、LGBTQ+当事者の入居後サポートを目的とした取り組みだ。不動産会社アイリスの利用者から「入居後に日々の暮らしの中で不安を感じたり困ったりした時に相談する相手がいない」との声を受けて設立された。
表面的には「入居後のお困り事相談のお茶飲み会」だが、そこで出てくる言葉は当事者の本音そのものだ。この本音をどう政策に反映させていくかが、住環境改善の鍵となる。
目指すべき未来 ~制度と理解の両輪で~
須藤の体験から見えてくるのは、制度整備だけでは不十分だということだ。パートナーシップ制度が92%の自治体で導入されても、現場レベルでの理解と配慮が伴わなければ、当事者は様々な場面で困難に直面し続ける。
豊島区は外国人が人口の約1割を占める多様性豊かな街だ。外国籍の里親も存在する。様々なマイノリティが暮らす中で、事例がない時にどうチャレンジできるかが重要な課題となっている。
「まちづくりの根っこにあるのは『お互い様』の精神です。いろんなことをお互いに助け合うことができたら、もっと暮らしやすくなる」(須藤)
質疑応答から見える現場の声
講演後の質疑応答では、参加者から多様な視点が示され、より深い議論が展開された。
里親経験者からの質問や、アメリカで学んだ経験を持つ参加者からは、LGBTQ+課題と他の社会課題との連携について質問があった。
おわりに
質疑応答からは、LGBTQ+当事者の住宅・子育て課題が、決して特殊な問題ではなく、多くの人に関わる社会課題であることが浮き彫りになった。里親経験者の実体験、当事者の生の声、そして行政課題への具体的提案など、多角的な視点から問題の複雑さと解決への道筋が示された。
須藤と佐藤氏が豊島区で築いている家族の形は、制度と理解の両輪で支えられている。彼らの経験は、多様性を受け入れる地域社会の可能性を示すと同時に、まだ多くの課題が残されていることも明らかにしている。
「お互い様の精神」で支え合う地域づくり。それは特別なことではなく、誰もが安心して暮らせる当たり前の社会の姿なのかもしれない。