どうも、空衣です。FtMでパンセクシュアルです。

と、ご挨拶しましたが、私の場合は「女性」から「男性」の身体・社会的境遇に至ったため、自分のことは便宜上FtM(Female to Male)なのだろうと捉えているだけです。性自認が「男性」なのでしょう?と問われれば、そういうわけではありませんでした。

男女どちらでもなく性別という存在そのものに懐疑的だったという点では、視点は「ノンバイナリー(non-binary)」だったといえます。
さらに細かいことをいうと、「ノンバイナリー」と言語化してしまうと、そういう一つのカテゴリーとして枠にはめられてしまう感覚があり、実際のところ何とも(「ノンバイナリー」とすら)名乗りたくない、というのが本音です。

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「ノンバイナリー」でもFtMとして身体治療していいのか?

「ノンバイナリー」なのにFtMってどういうこと?または、FtMなのに「ノンバイナリー」って何を言ってるの?と疑問に思った方もいるかもしれません。
たしかに従来の「性同一性障害」の診断では、性自認がハッキリ「男性」か「女性」であることが条件でした。バイナリーなトランスジェンダーしか想定していなかったというわけです。そのため通常はFtMといえば、『出生時に「女性」と割り振られていたが、性自認(gender identity)は「男性」である人』を指します。

「ノンバイナリー」の場合は、性自認が「女性」ではないからといって「男性」である、という二択で解決するわけではありません。
そうはいっても「ノンバイナリー」の人の中には、出生時とは異なるジェンダーへの適合を望んで、身体治療をおこなう人もいます。

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私からしたら、「性別という概念がなくなればいいのに」と思いつつ、身体的には「男性」的に変えることが必要でした。

私は性自認が「男性」というわけではないけれど、身体的な治療をして「男性」として生きていくことを望みました。もちろん、戸惑いや不安はありました。
・規範的なFtMではないのに、FtMとしての治療ルートを辿って良いのだろうか?
・治療をしても本当に後悔しないのか?
・自分のことを「男性」だと思っていないのに、身体を変えたことで「男性」として扱われることは苦痛ではないだろうか?
といった疑問が浮かんでいました。

しかしながら、「シスジェンダー男性」の中にも、自身のことを強く「男性」だと認識したことはないけれども違和感なく「男性」として生活してきている人はいるはずです。私もそのような、「男性」としての意識は持たないけれども「男性としての生」を引き受ける人生を望みました。
結果としては、性別移行をして「男性」同様の身体に近づき、それにともなう社会的生活が手に入ってとても幸せです。以前のような「女性」的な生き方によく耐えられたな、と驚くほどです。

「ノンバイナリー」なFtMが「男性」扱いされるときの違和感

私はもともと身体的に「男性」になりたかっただけです。「社会的にどう扱われたいか?」は二の次でした。トランスジェンダーというと、社会的に扱われたい性別の話ばかり議題に上がる印象があるかもしれませんが、すべてのトランスジェンダーがそうではないのは知っておいていただきたいです。

もちろん当人が望まなくとも、日常生活で性別を判断される場面はたくさんあります。私は女性扱いされるよりは男性扱いされる方が嬉しい(マシ、という感覚です)のですが、そもそも男女で分けられない方が快適に感じます。

FtMである、「男性」である、と見なされることによって違和感がある場面もあります。

  • FtMは「男性」扱いされたいんだよね?と思われている
  • 「くん」付けで呼ばれるのは違和感があった
  • 一人称に「俺」「僕」は使う気にならない
  • 「男性」・トランス男性・FtMと呼称する・されることへの違和感があった
  • 戸籍変更して「男性」になったからといってそんなに嬉しくならない
  • 「男性」の集団のなかにいても、「男性」が同性だと感じられない

私は身体的に「男性」でありたかったので、「体が男らしいね」と成長を褒められるのは嬉しいです。でも「振る舞いが男らしい」「男性だから決断力があるのか」などと評価されることは望んでいません。また、「男性」化したことで「女性」から過度に距離をとられることも予想通りといえば予想通りですが、寂しい感じはあります。

男性用トイレや男性用更衣室を使えるようになったのは良いことでしたが、それは『自分が「男性」だと認識しているから』ではなく「ようやく身体がここまで変わったのか」と実感できるからでした。意識の中に『自分は「男性」である』という感覚はないままです。

ただ、24時間365日ほとんど「男性」として生活していれば、自然と『自分が「男性」でもいいか』と落ち着くようになってきました。「男性」側に振り分けられたときに居心地が悪くなることもほとんどありません。『自分が「女性」でもいいか』と落ち着くことはなかったので、男女二元論が嫌だとしても、「男性」である方が馴染めたみたいです。正直「女性」扱いされてもトランスジェンダー扱いされても「男性」扱いされても、どれも性別に固執している点でしっくりきません。それでも自分なりに納得いく生き方ができるようになったのは良かったです。

以上、「ノンバイナリー」な私がFtMとしての性別移行を行い、社会的に「男性」として生活するようになった話でした。

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◎この記事を書いた人・・・空衣
1996年、神奈川県生まれ。居住地にこだわりがなく女子寮にいたこともありますが、現在は男性の境遇で生活しています。カレー好きで、世界一辛いカレーを完食したことも。

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