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【鬱病】大半が真っ暗闇!メンヘラゲイが自分の20代を振り返る。

どうもこんにちは!LGBTs当事者によるLGBTsフレンドリーな不動産会社IRISのしょうへいです。

1990年生まれの僕もついに30代に入ってしまいました。そして2021年の今年は8月で31歳になってしまいます。本当に早いです。

本記事では、メンヘラゲイが自分自身の20代を振り返っていってみます。

20歳:上京しゲイとして楽しい中…鬱病になる

19歳も終わりが近づく頃、僕はゲイとして活動するようになりました。ゲイ向けのチャットで同い年くらいの人たちと話すようになり、オフ会に呼ばれたことがゲイとして遊び始めたきっかけです。

そのオフ会は30人くらいか…もしかしたら50人くらいの規模で、今までゲイ同士の接点など全く無かった僕の人脈を、一気に広げてくれました。

オフ会が終わって数日した頃には、仲のいいグループが出来ており、東京など殆ど行ったことがない僕が毎週の様に週末は東京で遊ぶようにになります。そして好きな人とは付き合うことができませんでしたが、彼氏もできてそれなりに楽しい生活を送っていました。

異変が起きたのは20歳の誕生日の翌日からです。朝目が覚めて体を起こそうとしても尋常な重さで上手く起き上がれない。そして気管を鷲掴みにされているような感覚があって、呼吸をするのも意識的に行わないと途絶えてしまうような苦しさがありました。

この頃、上京をして彼氏と一緒に住んで、そして仕事を探しているタイミングだったので、仕事が上手くできない辛さとそして彼氏に負担をかけすぎているという自覚が重くのしかかり、鬱の気配は急激に重たくなっていきました。

21歳:東日本大震災で実家に帰ることになる

その日も鬱が酷くて僕は布団に寝ていました。そんな時、東日本大震災が発生します。東京は大きな被害はありませんでしたが、震度5弱のそれなりに強い地震で、激しく揺れる窓ガラスは今にも割れて降ってきそうな勢いでした。そして福島原発の事故。

メルトダウンの危険性というニュースを見て、僕の彼氏は仕事を辞めて静岡に帰ることになりました。そして僕も一緒についていくことになります。しかし鬱病が21歳になる頃はかなり重度になっていたので、静岡に行っても仕事を見つけることができず…1ヶ月くらいして僕も茨城の実家に帰ることになりました。

最初は鬱病の僕を両親も理解を示してくれましたが、1年経つ頃には「家にずっと居ないで働いて!」と言われて殴られるような日もありました。別に働きたくなくて鬱病になったわけではないのですけどね…。

そんな時に仲良い友達がジムに通い始めたといった話を聞き、同時に鬱病克服にはジムで汗をかくのが効果的といった話も聞いたので、僕も体調の良い日だけジムに行くことにしました。鬱病にジムが効果的だったのかは当時分かりませんでしたが、選択としてはとても良かったと思います。

23歳:鬱病が治り始めて高校と専門学校のWスクールを始める

鬱病のピークは22歳でした。毎日薄暗い部屋で思うように体が動かせなくて寝込んでいるとき、ふと「なんでこんなに頑張ってるんだろう、一回全部諦めよう」と思ったんです。そうしたら何となく息苦しさから解放されたような感覚がありました。

それからしばらくは変に理想を追い求めないように、夢を作らないようにと思い、穏やかに過ごす日々を重視していたのですが、両親的にはやりたいことを見つけて欲しかったらしく、何もないのであれば父親の仕事の後を継げと言われました。

でも僕は、父親の仕事を継ぐことだけは絶対に嫌だったので、何となく憧れていた「ジムのトレーナーになりたい」と言ってみたんです。そしたら母親は涙を流しながら賛成してくれて、僕は高校と専門学校を同時に通うことになります。

トレーナーになるのには中卒でも正直いうと大丈夫なのですが、当時見ていた求人募集のほとんどには100%に近い確率で「高卒以上」と書かれていたので、高校は出ておいた方が良いなと考えました。

24歳〜27歳:学校生活が合わなくて解離障害になりながらもやりきる

高校は通信制だったのでコツコツとレポートを進めて、テストで良い点数とって、それなりに良い感じで卒業できたのですが、トレーナーの専門の方は地獄のようでした。

というのも、トレーナーの専門ではトレーニングの指導の方法を教える授業などでペア組まなければいけない場面が結構あったのです。僕はあまり人と仲良くできるようなタイプではなかったので、基本ずっと孤立していて「ペアを作って」と教師に言われる度にとんでもないストレスを感じていました。

またこの時は年下の彼氏と一緒に住んでいたのですが、同棲してから上手くいかなくなってしまって、家でも学校でも絶え間ないストレスに悩まされていました。そしてある日突然、マンションから出て歩道に出たときに「学校どっちだっけ…?」となってしまったのです。

それから授業受けていても前回授業受けた記憶が全くないのに授業のノートは取ってある、という状況が頻繁に起きてしまい「もしかして部分的に記憶喪失になってる?」と恐怖しました。

記憶が無くなるのはヤバいと思い、病院に行って診断を受けたところ今度は解離性障害という診断を受けることになったのです。

解離性障害とは?

本来、連続しているはずの記憶や感覚、人格などに空白の部分があらわれてしまう疾患です。 原因は多岐に渡りますが、その多くはストレスが関係しているとされています。

引用:Medical Note

28歳〜29歳:ブロガー兼パーソナルトレーナーになる

高校の方は勉強もたくさん頑張ってかなり点数よく卒業できたものの、トレーナーの方は授業に出ていてもその時の記憶がすっぽり無くなってしまったりして、思うように勉強ができませんでした。なので診断書を提出して辛うじて卒業できたような感じです。

少しでも成績を上げる為に始めたのがブログです。授業で習った内容を忘れないうちに整理してメモすることを意識して始めたのですが、それがちょっとずつ読んでもらえるようになってブログだけでもある程度生活ができるような状態になりました。

そしてトレーニングに関するブログを書いていたので「トレーナーやります!」と宣言したときにも問い合わせをたくさんいただけて、ブロガー兼パーソナルトレーナーになることができました。20歳終盤になってやっと働けるようになってきたような感じです。

20代の前半は鬱病でほとんど引きこもりみたいな感じでしたし、中盤以降も解離性障害で記憶が飛んだりしていまいましたし、あまり良い思い出ができないまま20代を終えてしまいました。

30歳:やっと望んでいたような生活に入り始める

30歳になる頃にはブログもパーソナルトレーナーもやめることになりますが、良い方向に向かっていきます。今までは苦手意識が多い中、自分ができる範囲で頑張るといったスタンスでしたが、30歳になりIRISをメインに働き始めることで苦手意識がかなり少なくなりました。

その影響か精神的にも以前に比べればかなり安定するようになり、ちゃんと働けているような感覚も持てるようになって、だいぶ自分が思い描いていた自分自身に近づいてきたような気がします。

20代は散々でしたが30代は良いスタートができている感じがするので、このまま楽しく終わらせられたらと思っています。また40代に入った頃に、このこのような記事が書けたら良いと思っています。

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◎この記事を書いた人・・・しょうへい
1990年8月生まれのXジェンダーのノンセクゲイ。ハンバーグとオムライスが好き。元Webデザイナー兼ライターの経験を活かしブログ記事を執筆しています。

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