20代ゲイの鬱病慢性化と鬱病克服までの経緯
どうもこんにちは!LGBTsフレンドリーな不動産IRISのしょうへいです。

ゲイで鬱病に悩んでいる方、結構多いのではないでしょうか。実は『僕自身も20代前半の頃に鬱病』でとても悩んでいました。

本記事では僕の鬱病の経験と、鬱病が改善されていった経緯について解説していきます。鬱病で悩んでいる方、よろしければ参考にしてみてください。

ゲイ友達が増えて楽しい真っただ中に僕は鬱病になった

僕が鬱病になったときは、前兆もなくある日突然でした。

19歳頃からゲイの友達が増えてきて仕事に悩みながらも、それなりに楽しい日々を過ごしていたつもりだったのですが、『20歳の誕生日を迎えた翌日からなにか変な感覚』に陥り始めました。

それはまるで『見えない手が胸を突き抜けて、肺や心臓、食道などを鷲掴みにしているような感覚』でした。

胸が苦しい感覚でしたが、実際には呼吸は苦しいといった感覚は無かったため、何となく肉体的な異常ではなく精神的なものだと分かりました。

しかし…自分自身が鬱病だと分かるのはまだ先の話です。

徐々に異常が酷くなっていく

20歳になった翌日に発病した異常は最初は週に1回~2回くらいでしたが徐々にその回数が増えていきました。

例えば、

  • いつもより少し長く寝てしまうとき
  • 友達と遊んだあとに1人になったとき
  • 9月10月の少し気温の下がった風に吹かれたとき
  • 一日中何もせずに過ごしてしまったとき

上記のようなことが原因ですぐに胸の中が鷲掴みにされる感覚に陥るようになっていきました。

ついに異常が毎日発症するようになる

初めて異常が出てから『毎日異常が出るようになるのには、僅か3ヶ月』ほどです。

8月16日生まれなのでこの日の翌日に異常が出て、12月に入る頃には意識が遠のいた状態でずっと横になったままになっていたり、ぼーっと真っ暗なパソコンのモニターを見つめ続ける日々でした。

鬱病と言うとやる気が出ないと病気と言われることがありますが、やる気が出ないというより意識が遠のいているから感情が上手く湧いてこなくて何もできないというのが個人的には正しい感覚かなと思っています。

初めて『異常が出た時にもし、病院にかかって治療を受けていたら、もしかしたらこの後、鬱病が3年も慢性化することは無かったのかも』しれません。

病院の薬で鬱の症状が回復するも副作用に悩まされる

慢性的な鬱状態になってさらに3ヶ月(翌年の3月頃)に、初めて両親に連絡して鬱病になってしまったかもと伝えました。

しかし都内から実家(茨城)まで帰るのには片道2時間ほどかかります。

帰りたい気持ちと病院に行きたい気持ちはあったのですが体のダルさや意識が遠のいていく感覚が酷く、自力で帰ることができませんでした。

そこで両親が車で迎えに来てくれて、担がれるようにして車に乗って実家に帰ったのを今でも覚えています。

数日後、病院に行って鬱病ということを診断され、最初はデパスという薬を処方されていましたが全然効きませんでした。

強めの抗鬱剤を処方される

病院に通っても中々鬱病は良くならず、僕からの要望でもう少し強い薬を処方してほしいと医師に頼みました。

もう処方された薬の名前は憶えていませんが『割と強い薬だったようで、飲むとずっと胸の中を鷲掴みにされていた感覚がスッと解けた感覚』がありました。

この薬が効くか効かないかで、鬱病かそうでないか判断ができるというものでもあったそうですが、効果に見合うだけの副作用も凄いものでした。

  • ご飯を食べても何の味もしない
  • 何のニオイも感じ取れない

一番怖いと思ったのがトイレです。『トイレに行っても全く自分の意思でトイレができなかった』のです。

確かに鬱病に効果が期待できる薬ではありましたが、僕の場合は副作用が強く出てしまった為、医師と相談のもとこの薬の使用やめることになりました。

自分が望む未来に辿り着けなかったことが鬱病の原因

僕は16歳頃から歌手になりたいと思っていて、その為にバイトを頑張ってボイトレに毎週通って歌を練習していました。

歌自体は最初は下手くそだったものの、16歳から20歳まで習えばそれなりに上手くなりますし、後半は作曲家などの人にもとても褒めてもらえるようになりました。

でも…自分の歌を聞く度に「ここは違う」「もっとこうしなきゃ」「こんなんじゃダメだ」という気持ちがわいてきてオーディションを受けることができなかったのです。

そして僕の目標は20歳までにオーディションに合格して事務所に所属することでした。だから、目標達成とならなかった20歳の誕生日の次の日、鬱病が発症してしまったのです。

思い通りにいかない現実と理想のギャップ

その他にも色々とありました。

僕は学生時代から他の人との関わり方が下手で、社会生活も上手くいった試しがありませんでした。そして『19歳のときに広汎性発達障害と診断』されてしまっています。

広汎性発達障害(PDD:pervasive developmental disorders)とは、自閉症、アスペルガー症候群のほか、レット障害、小児期崩壊性障害、特定不能の広汎性発達障害をふくむ総称。

 

診断によるとADHDと高機能自閉症の傾向にあり、

  • 対面でのコミュニケーション能力が低い
  • 集中障害で自分のペースを乱されると、やっていた仕事に戻れなくなる

といった特性がありました。

その為『バイトでも仕事に就いても結局対人関係が崩れたり、仕事の効率が悪かったので辞めざるを得ない状況』に毎回陥っていました。

音楽の道でも目標を叶えることができず、そしてちゃんと仕事に就きたいと思っても、失敗経験から前に進めなくなっていたのです。

休もうと思っても鬱に起こされる

鬱の症状で動けなくなっていてもこのままじゃダメだという気持ちでいっぱいでした。

どんどん時間は過ぎていく、こうして寝込んでいる暇はない、自分で他に出来ることを探さなきゃと。

それでも鬱の症状が出ているときは意識が遠のいてしまって何もできませんでした。

『あまりに調子が悪いので少し寝ようかなと思うんですけれど、根本にこのままじゃダメだという気持ちがるので「寝てるような暇があるのか」と心の底から声がして起こされる』んですよね。

そして起き上がって目標は叶わなかったけどまだ音楽の道が残ってるかもと歌を練習するのですが、どうしても納得ができなくてそれがまた鬱を酷くしていくんですよね…。

全てを一度諦めることで鬱病がよくなり始める

22歳のある日、その日も歌を歌っては納得ができなくて倒れこんでしまいました。

そしてふと「なんでこんなことやってるんだろう、もう諦めよう」と思ったときに、心も含め全身が凄く楽になったんです。

まるでその感覚は荒れ狂った海の波が、穏やかにスッと引いていくような感覚でした。多分、これが『僕の人生で初めての挫折』というものだったのでしょう。

それからは『オーディションを受けることや、自分が求める歌い方を必要以上に追いかけることもやめて、純粋に歌を楽しむことだけを考える』ようにしました。

また今の状態ではどう頑張っても仕事は続かないことも分かっていたので『鬱病でも出来るような仕事を探すのではなく、一度何も考えないでしっかり休む』ことを目標にしました。

その結果、今まで毎日鬱病の症状が出ていたのが少しずつ良くなってきたのです。

トレーナーを目指すことでほぼ完全に鬱病を克服する

音楽の道を完全に諦めた僕はしばらく目標が何もなくなってしまい、鬱病の改善に良いと人から教えてもらったジムに度々通っていました。

そこで目についたのがトレーナーの仕事です。

『トレーニングの仕方が分からない人たちに優しくトレーニングを指導し、お客さんも嬉しそうにしてるのを見て、トレーナーという仕事がその時すごく輝いているように見えた』のです。

でもよく調べてみるとトレーナーになるには高卒以上であることが条件だと書いてあり、実際求人を見ても高卒以上でした。

僕は自分自身のセクシュアリティ的にも学生生活が厳しく、歌を習いたいこともあって高校を中退したのでトレーナーも無理かなと思っていたんですよね…。

そんな時に母親にやりたいことは歌以外にはないのか聞かれて「トレーナーになりたい」と言ってみました。

一気にトレーナーになるための道が開いていく

トレーナーになりたいと口走ってからは、一気に話が加速して通信制の高校を再度受験することになり、同時に専門学校にも通うWスクールが始まりました。

昼間はトレーナーの専門で勉強し、夕方はジムでバイトをして学費や生活費を稼ぎ23時頃に帰宅して高校のレポートを深夜に仕上げるそんな生活を送るようになったのです。

正直に言うと凄く大変で厳しい毎日でしたし、鬱病がまた発症してしまい休んでしまった日もありました。

しかし『トレーナーなるという新たな目標に毎日近づいているのも分かりましたし、頑張っていると自分を肯定してあげられるようにもなったので、鬱になることはかなり減っていった』のです。

通信制の高校もトレーナーの専門も卒業する頃には薬に頼らずとも、ほとんど鬱病になることは無くなっていました。

鬱病はキッカケを掴めばよくなっていく!

僕自身が鬱病にかかって辛い思いしていたとき、全く良くなる気配がなくて「一生治らないのかなぁ…」と常日頃思っていました。

しかし『今現在はお守りとして抗鬱剤を持ち歩くこともなく生活できているので鬱病はキッカケがあれば改善できる』と思います。

1つ過去の自分に伝えたいことは「酷くなる前に病院へ行け」ですね。

もしかしたら、何か異常を感じ始めた時点で病院へ通って治療を受けていたら慢性化することなんてなかったのかもしれません。

以上で本記事を終わりとさせていただきます。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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◎この記事を書いた人・・・しょうへい
1990年、茨城県生まれ。元Webデザイナー兼ライターの経験を活かし、ブログ記事を執筆しています。

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