どうも、空衣です。私は社会的に女性から男性への性別移行を経験してきたトランス男性です。
トランス男性のことを、身体的な過程を指して「FtM(female to male)」ということもあります。なぜ生まれたときに指定された「女性」という性別で現在生きていないかというと、「女性」という性別に違和感があったからです。
性別に違和感があるけれどもこれって「性別違和」なのか。それとも今の性別に対して押し付けられる規範や、周囲の人間関係によって性別違和だと思い込んでいるのか?
本記事では、そんな疑問を持つ方へ向けて、今回はお話しします。
初めに |
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IRISではLGBTにも、その他のマイノリティにも親切な企業でありたいという気持ちからLGBTsフレンドリーを掲げていますが、本記事はLGBTに関する内容の為、LGBTsではなくLGBTという言葉を使用していきます。 |
性別違和とは何か?
私自身の場合ですが、「女性」という性別に違和感がありましたが、「男性」として扱われても違和感や納得いかない点が出てくることはあります。個々人で見るべきところまで「性別」でカテゴライズされてしまう以上、性別に関してモヤモヤしてしまうのはもはや多数派なのではないかと思うほどです。
性別に関するモヤモヤ……と言われれば、シスジェンダーもトランスジェンダーも含めて、多くの人が感じたことがあるかもしれません。私たちは生まれたときの身体的な特徴から「男性/女性」と分類され、戸籍にも登録されますよね。
出生時に割り当てられた「男性/女性」という性別に「何か違う」という違和感を持っている人々は、ざっくりいうと「トランスジェンダー」に分類されます。
セクシュアルマイノリティの総称として「LGBT」と言われるときの「T」は「トランスジェンダー」のことです。
「性別違和」というのは、トランスジェンダーの中でも、医学的な診断名として用いられる用語です。2013年にアメリカ精神医学会が発表したDSM第5版では、従来の性同一性障害(gender identity disorder) という名称に代わって、性別違和 (gender dysphoria)という名称になりました。
まとめると、以下のように説明できます。
- LGBT:レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダーの頭文字。セクシュアルマイノリティの総称として用いられる。
- トランスジェンダー:出生時に割り当てられた性別とは異なる性別を生きる人、及びそれを望む人。
- 性別違和:出生時に割り当てられた性別と、その人自身が実感している性別が異なり、それによって実生活に困難が生じている人への疾患名。ただし、割り当てられた性別と実感する性別がズレている感覚、つまり「性別に違和感がある」状態そのものを指して、「性別違和」と呼ぶような用例もあります。
- 性同一性障害:トランスジェンダーの人々が医学的治療を必要とする際に、これまで使われていた疾患名です。英語では“gender identity disorder“といい、「アイデンティティがおかしくて病気である」かのような誤ったイメージがついてしまっていました。
性別違和の原因と背景
性別違和は、個人が生物学的性別と自己認識する性別との間に不一致を感じる状態を指します。この複雑な現象は、生物学的、心理学的、社会文化的な要因が複合的に絡み合って発生すると考えられています。
生物学的要因
生物学的要因は性別違和の理解において重要な役割を果たします。研究によると、脳の構造や機能が性別違和の発生に影響を与える可能性があります。例えば、一部の研究では、性別違和を持つ人々の脳は、彼らが生物学的に割り当てられた性別ではなく、自己認識する性別により類似していることが示されています。
また、遺伝的要因も関与する可能性があり、特定の遺伝子変異が性別違和の発生に関連していることが示唆されています。
心理的要因
心理的要因も性別違和の理解に不可欠です。
幼少期の経験、家族環境、個人の性格などが、性自認の形成に影響を与えることがあります。しかし、性別違和が単に心理的な問題や育成の結果であるという考え方は、科学的根拠に欠けると認識されています。
社会文化的要因
社会文化的環境も性別違和の経験に影響を及ぼします。文化や社会が性に関して持つ期待や規範は、個人が自身の性別についてどのように感じ、表現するかに影響を与えることがあります。
また、性別の多様性に対する社会的態度や受容度も、性別違和を持つ人々の自己認識とウェルビーイングに大きな影響を与えることがあります。
性別違和と思い込みの可能性
状況を変えなければやっていけないほどの性別違和である場合もあれば、実はそうではなくて思い込みだった、という可能性もあります。
「性別違和かもしれない、でも思い込みかも」という状況にはどのようなパターンがあるか、見ていきます。
思春期と性別の違和感
よくあるのが、「性別に違和感があるのは、思春期の気の迷いでは?」という懸念でしょう。
第二次性徴期や男女別の制服の導入によって、思春期は何かと性別を意識させられます。それまでは性別に関係なく好きな服を着て、好きな一人称で喋って、好きな友だちと遊べていたのに…..と思春期に際立つ男女差を嫌に思うことはあります。
何かと男女で分けたがる風潮は、生まれた時から馴染み深いものですが、思春期はさらに男女による二分類がワンステップ進んでしまった感覚になることでしょう。
実のところ、ジェンダー研究者であるレイウィン・コンネルの著書『ジェンダー学の最前線』によれば、男性と女性の性差はほとんどなく、「性類似(セックス・シミラリティ)」なのだといいます。にもかかわらず、まるで男女で大きな差があるかのように取り扱う現状はなんとも不思議なものです。
同性と仲良くできない
同性と仲良くできずに浮いてしまうために性別違和かもしれない、と思う可能性はあります。極端な話ですが、80億人近い人類を半分に分けて、そのうちおおよそ同性に分類された40億人と仲良くなれるか?と言われても無理な話です。
気の合う人も合わない人もいます。それは性別によって制限されるわけではありません。
そうはわかっていても、近しいコミュニティ内で男女に分けられることが当たり前だと、同性間で仲良くできない場合に、自分の性別ーー今いる居場所ーーが間違っているのではないか、と苦しむことがあるでしょう。
身近な同性として、女性の場合は母親、男性の場合は父親と仲が良くない場合に、「こんな人にはなりたくない」と自身の性別までも忌避することはあります。
同性が好き
上記と逆パターンで、同性(だと思っている相手)に恋愛感情を抱いたことで、自分自身の性別に違和感をもつ、というケースもあり得ます。
例えば、「私は男性で男性が好き。本来あるべき私の性別は女性だったのではないか」と思うような状況です。同性愛は同性愛であり、性別違和は性別違和で別ものです。とはいえ、どちらかの言葉しか知らない状況下では、先に知った方の言葉で自身をカテゴライズして解釈することはよくあることです。
また、好きな人に恋愛対象として認めてもらいたいから自分の性別をコントロールしよう、と思うこともあるかもしれません。それは「男性は女性に恋愛感情をもつ」「女性は男性に恋愛感情をもつ」という異性愛規範の影響があるから生じていることだと指摘できます。
恋愛は性別違和に気づくきっかけに十分なり得ますが、性別違和であることを決定づける要因ではありません。
男らしさ、女らしさへの違和感
性別違和と混合されやすいのは、「男らしさ」「女らしさ」が嫌ってこと?という指摘です。性別という属性で「男らしさ」「女らしさ」を強制せずに、自分らしく生きていこうというのはもちろん望ましいことです。
ただしこのことは、性別違和のある感覚とはズレています(別の事柄ですから、同時に生じる可能性はあります)。
例えば「スカートが嫌」というとき、「スカートという女らしさを押し付けられるのが嫌」なのか、「男性なのに、女性だと見られるのが嫌」は違います。もし後者のように「本当は別の性別なのに、誤った性別で見られるのが嫌」だとしたら、きっと性別違和の強い状態なのだと思います。
むしろ性別違和のある人の場合、「男らしさ」「女らしさ」にこだわっていたい、という人もいます。たとえばトランス女性の場合に、「男らしさ」は無理だったけれど「女らしさ」は積極的に引き受けたい、ということがあります。
シス女性の中に「女らしくありたい」と思う人がいるのと同じことです。そうした人は「男らしさ」「女らしさ」があること自体を嫌だと思っていないわけですから、性別違和とは別枠で捉えるべきでしょう。
異性装を楽しみたい
性別違和があるかもしれないと考える人の中には、自分の与えられた性別とは異なる系統のファッションを楽しみたい、という人もいるはずです。
本当は好きなファッションをするときに、その人の性別は無関係です。しかし現実では、メンズ/レディースでファッションが二分されがちで、性別を意識させられる機会も多いです。
性別違和があるからこそ、自分の実感する性別に推奨されているファッションをしたい人もいれば、自分の性別に迷いはなくて、単純に異なる系統のファッションを楽しみたいという人もいます。
ときに区別がつかなることもあるので、迷ってしまいます。
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Xジェンダーやノンバイナリーの可能性
性別というと、公的書類を含めて「男性」か「女性」の二つしか記されていないのが日本の現状です。トランスジェンダーを想定するときにも、「逆の性別」になる人というイメージが先行するため、「トランスジェンダーの男性」か「トランスジェンダーの女性」しか存在しない、と思われがちです。
しかし、性別は二つだけではありません。性別違和の強い人のなかには、男女どちらかに当てはめようとするとしっくりこないが、「男女どちらでもない」性別だとすると腑に落ちる人もいます。そうした人を指す言葉には、「Xジェンダー」や「ノンバイナリー」があります。男女どちらかではなく、純粋にその逆というわけでもなくて性別に違和感を強くもつ場合には、「Xジェンダー」や「ノンバイナリー」である可能性があります。
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この性別の違和感が思い込みかどうか判断するには?
「男/女だから」と他人に言われなくても、今の性別に違和感があるか?
性別そのものに違和感があるのか、それとも性別に不満はないけれど他者からの取り扱われ方によって生きづらいのか。両者は一見似ている問題ですが、生き方を考える上で大きな違いがあるのも事実です。
例えば「男子」として生まれ育つと、「男らしくあれ」「弱音を吐くべきではない」「かわいい服を着るのは変だ」「男同士で親しいのはおかしい」などといった様々な圧力がかかることがあります。
これら男性ジェンダーへの抑圧は、すべて外部からの期待や偏見から生じています。しかし、自分が「男性」であることそのものを疑わしく思ってしまうこともあるでしょう。
例えば「女子」として生まれ育つと、「女らしくあれ」「おしとやかにすべきだ」「化粧をするのは女性のマナー」「男性を引き立てるべきだ」などといった女性ジェンダーへの抑圧を被ることがあります。
こうした圧力は、すべて外部からの期待や偏見から生じています。しかし、自分が「女性」であることそのものがおかしなことなのだ、という考えに至ることもあるでしょう。
もしも他人があなたに「男なのにこれくらいできないのか」「女なのだからこうしなさい」などと強制しなかったら、あなたは今の性別についておかしいと思わずに済んだのでしょうか。
そうだとしたら、あなたが疑っているのは他人が押しつける「男らしさ」「女らしさ」という風潮であって、あなた自身の性別に対する違和感ではないのかもしれません。
年をとった自分の姿を想像してみる
年をとった自分の姿を想像してみるというのも一つの手です。そのときあなたは、おじいちゃんかおばあちゃん、どちらの姿が自然に浮かびますか。それとも、性別を感じさせない人として老いていきたいですか?
実際のところ、トランスジェンダーの人の中には生きる希望がなく、全くもって将来像が想像できないという当事者も珍しくありません。
トランス男性である杉山文野さんの著書『元女子高生、パパになる。』では、「30歳で死のうと思っていた」という回想が綴られているくらいです。そのため、性別違和が強いとそもそも将来像など考えられない、というケースもあることは留意点です。
セクシュアリティ診断ツールを使ってみる
客観的に性別の自己認識を判断してみたいという方は、セクシュアリティ診断ツールを使ってみましょう。「セクシュアリティ診断ツール」で検索すると出てきます。
ものによっては、最初から「男性」か「女性」しか想定されておらず、ノンバイナリーやXジェンダーの人にとっては却って回答しにくい、という事態があるのは残念ですが……。
思い込みかもしれないけれど性別を変えたい
何をもって「思い込み」とするかは難しい問題です。当時は「自分に性別違和がある」と本気で信じていたのだとしたら、「思い込みだった」と結論づけられるのは未来の自分でしかないからです。
けれども、過去に着目するか、未来に着目するかで「性別を変える」決断について考えてみることはできます。
過去に着目してみると……従来の「性同一性障害」の概念では、はっきり「自分が本当は男/女である」ことがわかっていて、しかしながら身体の状態がその実感とは異なる状態を想定していました。
性別違和が幼い頃から持続しているトランスジェンダー当事者を、「性同一性障害」として捉えていました。強固な男女二元論を前提としていたのです。
しかし、性別に違和感を持つ人がそういう人ばかり、というわけではありません。なかには、はっきり「本来の性別」などがわかるわけではなく、そうはいっても「これ以上今の性別では生きていけない」という決死の思いから性別移行に踏み出す人もいます。
未来の自分がどうありたいか、に視点をおいたといえます。
実は筆者もその一人でした。自分が「本当は男性か?」と問われれば、そうしたことはわからないし、興味もなかったです。ただし、これ以上「女性」としてやっていけないことは自明でした。
身体の特徴と周囲からの取り扱いが「男性」に変わっていくことの覚悟はありましたし、おじさんになっていく未来を楽しみに描くことができました。
だから性別を変えていくことにしました。結果論として、男性である状況に納得できるようになりました。はじめから正しく選択できたわけではありません。そういう例もあります。
ただし、何かの利益を得るために「性別違和」と診断されることはありません。それは除外診断です。
例えば「女から男になれば職業上で有利になれそうだから、男としてやっていきたい」とか「女性に囲まれたいから、男から女になればいいと思った」という動機は、性別違和を強くもつトランスジェンダーとは無関係の、その人個人の欲望ですからね。
周りに性別違和で悩んでいる人がいる場合には
周りに性別違和で悩んでいる人がいる場合には、まずは本人の実感している違和感を否定せず、話を聞くことが肝心です。すぐにうまく言語化ができるとも限りません。
また、話を受け止める側としても、すでにあるトランスジェンダー当事者の情報収集をしたり、性別違和のある人を対象としたクリニックのことを調べたりするのもいいでしょう。
もし何か対応が必要な場合は、対応できるところからやってみてください。
たとえば本人の呼ばれたい名前があればそれを使用したり、制服の変更を求めて学生たちで署名を集めたり、という事例があります。
衣服の問題は性別違和のある当事者だけでなく、シスジェンダーで「男らしさ」「女らしさ」に違和感がある人にも役立つはずです。
トランスジェンダーのコミュニティ(SNSや、ユース向けの居場所、バーなど)では、身体的な治療についての有益な情報を得られることもあります。
ここで大切なことは、本人に許可なく「誰々は性別違和を抱えているらしい」ということを言いふらさないこと、他人に伝える必要がある場合はどこまで広めていいのか本人に許可を取ることです。
どうかアウティングしないよう気をつけてください。
性別の違和感は変わることがある
性別違和を強く持つ人であっても、実際に生活実態を変えてみたらそれはそれで違和感が募った、ということもあり得ます。一旦性別を変えてみたけれどまた再変更する、という人もいます。それがその人の自己認識に合うのであれば、何より大事なことです。
もちろん身体的に治療をする際は、取り返しのつかないこともあります。
FtMの境遇においては、男性ホルモン投与で一度低くなった声は低いままです。手術で胸をとったり、子宮卵巣を摘出したりしたら、元のように戻せるわけではありません。
そうした不可逆的な反応があることを知った上で、本人が今より生きていきやすくなるような選択をしてほしいです。
思い込みであってもそうでなくても
昨今では性別違和を抱える当事者の記録や、そうかもしれないと考える人たちの情報にアクセスしやすくなりました。ますます自分の立場がわからなくなる、という不安もあることでしょう。
とはいっても、自分の性別を引き受けて生活していくのは、自分自身です。だから後悔しない性のあり方で過ごしていきたいですね。